全国に蕎麦屋さんはたくさんありますが
そのうち関東で有名な蕎麦屋さんと言えばどのお店でしょうか?
やはり関東で有名なのは 「藪、更科、砂場」だと思います。
どのお店も老舗と呼ばれる歴史のある屋号で
のれん分けの店舗も多くあります。
あなたもどれか聞いた事、見た事があるのではないでしょうか?
【藪(やぶ)】
神田藪、並木藪、池之端藪の3店で「藪御三家」と
呼ばれるくらい上野周辺では人気です。
この3店は親子3代がそれぞれのれん分けで作った店で、
本家は堀田七兵衛が作った神田藪。
その堀田七兵衛の3男 勝三が作ったのが並木藪。
勝三の3男が作ったのが池之端藪。
と祖父、父、息子の3代で作られたお店です。
のれん分けでそれぞれ独立して
歴史を築いているのが凄いですね。
上野にある藪蕎麦では「上野藪」も有名です。
こちらは神田藪からののれん分けだそうです。
本家の神田藪蕎麦はもともと「団子坂藪蕎麦」という店でした。
とても人気のある大きなお店でしたが突然廃業します。
そこで明治13年、その「団子坂藪蕎麦」を
堀田七兵衛がゆずり受け「神田藪蕎麦」が始まりました。
「団子坂藪蕎麦」の正式名称は違う名前だったのですが
周囲を竹やぶに囲まれていました。
そのため愛称をつけて呼ぶ事を好んだ
江戸時代の人たちが
藪の中にあったので「藪の内」と呼び
そこから「藪」になったようです。
【更科(さらしな)】
名前の由来は当時そばの産地として有名だった
信州(長野)更級の「級」と
当主、清右衛門が世話になっていた保科家の「科」
をかけあわせて「更科」としたのが始まりです。
更科蕎麦をメインに扱かう蕎麦店で
更級粉を使った白く高級感のある蕎麦が売りです。
1750年頃にはすでに更科蕎麦があった事が
分かっています。
更科のもとは「布屋太兵衛」と言いますが
昭和16年に1度廃業しています。
時代背景や、当主七代目松之助の放蕩が原因です。
その松之助から屋号を使うことを許されたのが
馬場繁太郎です。
「永坂更科本店」を開業します。
屋号の事で松之助と揉め、「麻布永坂 更科本店」とします。
1949年(昭和24年)その七代目松之助が
「永坂更科 布屋太兵衛」を再び開業。
「永坂更科」を商標登録しました。
1984年(昭和59年)八代目松之助が
「総本家 更科堀井」を開業します。
このように麻布十番には3店が近隣で開店しています。
この事から 、麻布十番は更科系の密集地帯となっています。
【砂場(すなば)】
砂場は東京最古の蕎麦店です。
「南千住砂場」、「巴町砂場」の2軒は江戸時代からのお店で
2013年現在も営業中と、とても長い歴史があります。
砂場が出来たのは東京ではなく大阪です。
1番古い蕎麦屋は?でも書きましたが
大阪城建設の砂場が近くにあったため
「砂場」と呼ばれるようになりました。
もっとも古い「南千住砂場」は、江戸時代に記録がある
「糀町七丁目砂場藤吉」が移転して存続したものです。
建物は1954年の木造建築で
荒川区の文化財指定を受けているほどです。
1815年(文化12年)「久保町すなば」が
1839年(天保10年)移転して出来たのが「巴町砂場」です。
1869年(明治2年)に店のあった町が合併する事になり
西久保巴町になり店名も「巴町砂場」になりました。
蕎麦屋は基本的に地元に根付いた商いだと思います。
「蕎麦っ食い」と言われる蕎麦好きの方は
常にアンテナを張り
多少遠い場所でも出向くかもしれません。
でも、多くの人はそこまではしないと思います。
近ければ行くけど。きっかけがあれば行くけど。。
そんな感じではないでしょうか?
また、いざ蕎麦屋に行ってみようかな?と思っても
何処のお店に行けばいいのか?
行ったお店が良い店だったのか?美味しかったのか?
何件も食べ歩けば分かる事ですが
1軒や2軒食べただけでは分かりません。
そんな時に老舗の有名店へ訪れてみてはどうですか?
長く続く多くの人に愛されて来たお店です。
その味や雰囲気を覚えておけば
次のお店での比較対象になると思います。
そうして自分なりの基準を次々と塗り替えて行けば
そのうち本当に自分の好きな蕎麦やお店の
イメージが浮かんで来るのではないでしょうか?
そこまで行けばもう完全に
蕎麦好きの仲間入りですよね(笑)
ぜひあなたも自分にあった蕎麦をイメージして下さいね!
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