日本で蕎麦が食べられていたのは約400年前
1619年慶長19年である事がわかっています。
では、原料の穀物である「そば」は
いつから日本にあり栽培されていたのでしょうか?
日本で見つかっている「そば」で1番古いものは
縄文早期時代の遺跡から発見されたものです。
縄文時代早期とは紀元前7300年
今から約9300年も前の事になります。
発見された遺跡は高知県のもので
「そばの花粉」が見つかりました。
その時日本にそばがあったわけです。
さらに、紀元前7000年の縄文土器からは
そばを食べた跡も発見されています。
今から約9000年前にはすでに
そばは食べられていた事が分かります。
他にもさいたま市岩槻区の遺跡からそばの種が
発見されています。
縄文時代晩期(紀元前1000~500年)の遺跡です。
お米のもっとも古い発見が約6000年前の
縄文時代前期(紀元前4000年頃)ですので
お米よりも古くからそばは日本で食べられていました。
これらの事からかなり古くから
日本人がそばを食べていた事がわかります。
では「そば」はもともと日本にあったのでしょうか?
つまり日本でもともと育っていたそばを
誰かが気付いて食べ始めたのか?それとも
日本以外の国から持ち込まれたのでしょうか?
いろいろな説があり学者さんが調べているのですが
現在有力なの説は中国が原産でそこから伝わった
という説です。
そばの原産地は中国の江地と呼ばれる3大河が平行して流れる
東チベット、四川省、雲南省の境界領域で栽培されたと
言われています。
そしてそこから日本へ伝わったというのが有力な説です。
中国からの伝達ルートで有力な説は現在3つです。
◎朝鮮半島から対馬へのルート
◎シベリアから北日本へのルート
◎中国から九州へのルート
が有力とされています。
その中でも原産地が雲南省だと言う事を考えると
朝鮮半島から対馬へのルートがもっとも有力です。
地図で確認すると朝鮮半島から対馬を通って九州地方に
入ってきたと考えられますよね。
伝わって来たと言う事は
誰かが持って海を渡って来たのでしょうか?
9300年も昔の話ですよ!凄くないですか?
ここから日本のそばの歴史が始まります。
ただ、お米より3000年も前に伝わったそば
も直ぐには食事として発展しませんでした。
その理由として考えられているのが
製粉技術の問題です。
そばの外側には黒い硬い皮があることは
そばとは? 植物のそばでお話しました。
この皮はそれほど厚くないのですが
硬くてなかなか取れないんです。
以前黒い皮がついたままのそば、玄そばを
手に入れる機会がありました。
自分で殻をとってみようとすり鉢でごりごりしたり
叩いてみたり色々試したのですが
結局は殻つきのまま石臼で挽くのが1番早い!
という結論になりました(笑)
固い上に薄いので殻がパカッと割れるわけでもないし
叩いたりすっても結構な力でやらないといけないしで
石臼で挽くのが1番簡単で合理的だと思いました。
現代でそんな感じなので
昔の人はそばの製粉にかなり苦労したのが分かります。
そのせいで、お米より古くからあるのに
常食品にならなかったのだと思います。
ちなみにお米は棒でつくとお米どうしが擦れて
糠が取れ、精米出来ます。
漫画「はだしのゲン」でも一升瓶にお米を入れて
棒で搗き精米してる様子が書かれています。
米1合なら2時間程度で精米出来るようです。
精米技術が進歩するのは1241年鎌倉時代です。
中国から戻った人が水車を使った碾き臼の技術を
みんなに伝えた事で製粉技術が進歩して
一気にそばが普及する事になります。
そばのルーツを書きましたが
伝わったといっても誰かが伝えてるわけですし
今とまったく違うのでそれは大変な事だったと思います。
そう考えるとそばのルーツだけを見ても
凄くドラマや物語があるし、ドラマティックですね。
次にそばを食べるときこの記事の事を思い出して
中国雲南省から朝鮮半島、対馬から九州
そして全国に広がり、
水車の技術でやっと食べられるようになった事を
思い出して頂けると嬉しいです(笑)
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