蕎麦はもともと「そばがき」で食べられていました。
では、現在の麺の形になり「ざる」や「せいろ」と
呼ばれるようになったのはいつからなのか?
蕎麦切りの歴史を年表形式にしてみました。
1603—–江戸時代開始
1619 慶長19年 慈性という僧侶が買いた「慈性日記」に
「そば切りを食べた。」と書いてある。
1643 寛永20年 日本初の料理専門書
「料理物語」にそば切りの作り方が書いてある
~1688 元禄 「蒸し蕎麦切り」が流行る
1688元禄~ せっかちな人たちが蕎麦に汁をかけて
食べ始める。→後にぶっかけ
1730年頃 江戸中期 深川の「伊勢屋」さんがせいろや皿ではなく
竹ざるに蕎麦を盛って出すようになる(ざるの元祖)
1751年 寛延4年 現在の中央区にある信濃屋さんが
ぶっかけるのを「ぶっかけ蕎麦」として売り出す
1773年 安永2年 「ぶっかけ蕎麦」に対して「もり」が出来る
高く盛り上げるという意味もあった
1789年 寛政頃 ぶっかけ蕎麦→ぶっかけ→かけとなり
「かけ」と言う言葉が生まれる
1830年 天保年間 蕎麦屋が団結して値上げを願い出たが
値上げは許されなかった。
変わりに上げ底が許され、せいろから
現在の上げ底のせいろになり
「山盛りせいろ」→「せいろ」と言う言葉が生まれた
1868年 明治
1868年以降 もりに海苔をかける「ざる蕎麦」が生まれる
もりと区別する為コクの深い「ざる汁」を使った
現在 数百年前に誕生した呼び方で器で、今も食べられている
これまでそばがきなどで食べられていた蕎麦を
そば切りにしてから約4百年。
歴史の本には「まだ歴史は浅い」なんて書いてあるけど
かなり長い歴史だと僕は思います。
その数百年前に出来た蕎麦の食べ方を今も続けている。
「もり」や「かけ」や「ざる」などの呼び方や
上げ底の蕎麦せいろや竹ざるなども
昔の呼び方、形をそのまま今に伝えている。
ただ単に保守的なだけかもしれないですけど、
数百年も同じ形を維持するのは
保守的とは呼ばないのかもしれないですね。
あえてその形を残す様に頑張っているのだと
思いますし、そういうのもカッコいいと思いました。
最近はカフェの様な店構えで洋の料理を取り入れた
蕎麦屋さんも増えて来ています。
それもまた時代への対応ですし進化の形だと思います。
ただ、蕎麦はそれだけではダメだと考えさせられました。
あえて時代を残す。
昔からの名前や器、店構えを残した蕎麦屋さんも
無いとダメだという事に気付きました。
極端に言うと、江戸時代の店構えや仕事の仕方を
復刻した店があっても面白いのかな?と思いました(笑)
そば切りが出来たばかりの江戸時代。
その江戸時代の人たちが食べていた蕎麦と
同じものが食べられる蕎麦屋さんがあったら行きたいです。
古いものを取り入れ現代版の新しい蕎麦屋も必要ですが
昔とまったく同じで何も変わらない。変えない蕎麦屋さんも
絶対に必要ですよね!
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